東横線の満員電車を抜け、オフィス前のスタバでカフェラテを手に。スケジュール帳は赤字で埋まり、9時半の説明会ではプロジェクターが反乱を起こす。汗ばんだ手の候補者たちを前に、機械に詳しい新人社員が駆けつけ危機を脱する。面接を終え時計を見れば14時——16時間の空腹が胃を締めつける。窓の外を見やれば、青山通りのケヤキが揺れていた。「今日こそちゃんとしたランチを」と決意し、外に出る。
20年前の私は、このような生活を続けていましたが、私は自分が東京を離れる必要があることを確信していました。東京の喧騒で「本物」を見失いかけることへの不安と焦りがあったのです。そんな中、ご縁を頂き、2008年、ニュージーランドへ移住。自然と地に足ついた人々に触れ、心が落ち着きを取り戻した頃、テプケのという小さな町でデブスという名の、マオリハーブのセラピスト、そしてCacaraの核となるマヌカエキスと出会いました。
ここからは、少しデブスと彼女の家族の物語を紹介します。
70歳のマオリハーブセラピスト・デブスは、太陽のような明るさと深い叡智を併せ持つ存在で、彼女のルーツは19世紀末に遡ります——1878年イギリス生まれの、デブスの曾祖母は、フランス人の夫とニュージーランド・カランガへ峡谷に移住。鬱蒼とした未開の森に丸太小屋を建て、そこで生まれた娘(デブスの祖母)が赤子の時、1つの事件が起こります。顔面に伝統刺青を施したマオリ部族長が突然現れ、赤子を高々と掲げる儀式的行為をしたのです。曾祖母は、この行為が何を表しているのか、さっぱりわかりませんでしたが、この衝撃的な出会いが、彼女の一家と先住民の交流の始まりとなったのです。
数週間後、同じ部族長が負傷した戦士を連れて再来し、曾祖母の眼前でマヌカの葉を石で潰し、傷口に湿布する伝統療法を実演したのです。戦士の傷は程なくして治癒し、驚くべき薬草のパワーに触れた彼女は、以後、マオリの部族から300種以上の薬草知識を伝授されることになります。彼女は後にも先にも、その土地に暮らし、マオリに受け入れられた唯一の白人女性となりました。またこれはマオリの「ロンゴア・マオリ」が白人に継承された稀有な事例でした。
デブスはそんな曾祖母の薬草庭園で幼少期を過ごしました。マオリの古老たちが語る「植物の声を聞く術」を自然に体得し、西洋ハーバルセラピーとマオリ薬学を融合させた独自の治療体系を構築。現在もテプケのセラピールームで、マヌカを中心に、カワカワ、クマラホウなど数種類の固有植物を栽培しながら、自然と共鳴した生活を送っています。
さて、そのようなデブスの話を聞きながら、あっという間に時間が過ぎ、私はすっかりマオリハーブの虜になってしまいました。その話の中には、宇宙の真髄を見たような感覚を得たのです。
その後、様々なロンゴア・マオリのワークショップなどに参加し、マオリのヒーラー達から、ロンゴア・マオリは単なる薬学でなく、宇宙の体系を表すものなのだということを教えられました。宇宙、地球、人間、自然の調和。その調和こそがロンゴア・マオリの原点であり、それは、ロンゴア・マオリが目指す世界観に包みこまれるような感覚でした。
デブスから贈られたマヌカティンクチャーは、傷の治癒から免疫力向上まで多機能で、ニュージーランド生活の必須品となりました。この経験から「日本の生活にマヌカの恩恵を」との想いが膨らみ、Cacaraシリーズが誕生しました。誕生には、デブスの意思を引き継いだ、ロンゴアのセラピスト
シレー、また様々なインサイトをくれたマヌカ研究者のプライマル、そして、日本でもビジネス構築を共に行う仲間である吉倉氏他にも、多くの方が関わってくださいました。
Cacaraの製品コンセプトは「自然の叡智を日常へ」。マヌカエキス・オイル・ハニーを基調に、ミント/レモン/カシスの3フレーバーをブレンド。マオリ語で「香り」を意味する「カカラ」の名の通り、森の清涼感を30mlのボトルに閉じ込めました。使い方は、直接、あるいは水やお湯に溶かすだけ。伝統知と現代の利便性を融合させた点が特徴です。
Cacara開発の原点は「20年前の自分に届けたい」という想いにあります。・・・レストランでパスタを待つ間、バッグから取り出したミントの小瓶からCacaraを8滴、グラスの水に落とす——螺旋状に広がるマヌカエキスが水に溶け、緊張した体と脳が清涼感でリセットされていく。
Cacaraがあれば、そんな体験を20年前にしていたはずです。
ストレス社会を生きる現代人へ、ニュージーランドのマヌカが紡ぐ「生命のリズム再同期」を提案します。
